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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)10814号 判決 1985年3月22日

原告 吉井一夫

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 西川美数

被告 小林はま

右訴訟代理人弁護士 宮崎富哉

主文

1  被告は、原告らに対し、一九万九三八四円を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

4  この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、別紙目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、一九万九三八四円及び昭和五五年六月二一日から右明渡済みまで一か月四万二六六四円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告孝夫と被告との間の東京簡易裁判所昭和三二年(ユ)第二七三号地代協定調停事件において、昭和三二年一二月四日次のような内容の条項((二)に掲げる調停条項第三項、第四項は、調停調書の原文どおりである。)を中心とする調停が成立した(この調停による本件土地の賃貸借契約を、以下「本件賃貸借契約」という。)。

(一) 原告孝夫は、被告に対し、別紙目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。当時は、同所五番一宅地六五三・三二平方メートルの一部であったが、昭和五八年六月三〇日分筆されて一筆の土地となった。)を普通建物所有の目的で昭和三一年九月一日から三〇年間賃貸する。

(二) (調停条項第三項、第四項は、次の「 」内どおりである。ただし、「申立人等」の内の一名が被告であり、「相手方」は当時の賃貸人原告孝夫である。)

「三 申立人等は本件土地の地代は昭和三十二年十二月一日以降は毎月一坪に代金三十二円八十銭の割合で毎月末日限り相手方に持参支払うこと但し公定賃料変動の場合はその公定賃料により又之が廃止の場合は附近の地代に比較して之を増減し支払うものとする

四 左の場合においては相手方は本件賃貸借契約を解除することができる

(一) 申立人等が第三項の計算による地代の支払を怠りその額六か月分に達したとき

(二) 申立人等が相手方の書面による承諾なくして、その借地権を譲渡し又は転貸したとき」

2  原告孝夫は、本件土地を単独で所有していたが、昭和三八年本件土地の持分三分の一ずつを原告一夫及び訴外吉井セイに譲渡し、原告ら及び訴外セイが共同賃貸人となった。昭和五九年五月二二日訴外セイが死亡し、原告らが同訴外人の有する本件土地の持分を二分の一ずつ相続したので、原告らは、本件土地の均分の共有者であり、また共同賃貸人である。

3  被告は、本件土地上に、別紙目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、本件土地を占有している。

4  (本件土地の地代の推移)

本件土地の地代は地代家賃統制令により統制されているところ、その統制額(いわゆる公定賃料)は、後記(一)ないし(六)のとおり逐次増額となっている。そして、本件地代は、前記の調停条項第三項ただし書きにより、公定賃料の適用がある限り、その増額に応じて何らの意思表示も要せず増額となるものである。

(一) 昭和五二年三月当時一か月三万二六〇〇円

(二) 昭和五二年四月一日から一か月三万四八八七円(一坪当たり八〇二円で本件土地四三・五坪分)

(三) 昭和五三年四月一日から一か月三万七八〇一円(一坪当たり八六九円)

(四) 昭和五四年四月一日から一か月三万九一九三円(一坪当たり九〇一円)

(五) 昭和五四年九月一日から一か月四万一一〇七円(一坪当たり九四五円)

(六) 昭和五五年六月一日から一か月四万二六六四円(一坪当たり九八〇・八円)

5  (本件地代の支払催告及び解除)

(一) 原告孝夫は、本件地代につき、昭和五二年三月、昭和五三年三月及び昭和五四年六月に、それぞれその翌月から公定賃料の増額に伴い、増額になるので、念のためその旨を被告に告げ、その支払いを請求した。

(二) 原告ら及び訴外セイは、被告に対し、更に念のため、(1) 昭和五二年六月一三日、(2) 昭和五三年四月一四日、(3) 昭和五四年八月二九日に各到達の書面で本件地代の値上げ請求をしたが、被告は、昭和五二年四月分以降一か月三万二六〇〇円のみの供託を続け、増額分の支払いを拒んでいる。

(三) そこで、原告ら及び訴外セイは、被告に対し昭和五五年五月三〇日到達の書面で昭和五二年四月一日から昭和五五年三月三一日までの未払の増差額地代(増額となった地代と従前の地代との差額)を同年六月一〇日迄に支払うよう催告した。

(四) 被告は、その支払いをしないので、原告ら及び訴外セイは、被告に対し、昭和五五年六月二〇日到達の書面で右地代不払いを理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

6  よって、原告らは、被告に対し、本件建物を収去して本件土地を明渡すこと並びに昭和五二年四月一日から昭和五五年五月三一日までの増差額地代合計一九万九三八四円及び本件賃貸借契約が解除となった日の翌日である昭和五五年六月二一日から右明渡済みまで一か月四万二六六四円の割合による賃料相当額の使用損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  請求原因4の事実中、本件地代が、その主張の調停条項により、公定賃料の増額に応じ、何らの意思表示も要せず増額になるとの点は否認し、その余は認める。

3  請求原因5の(一)の事実中、原告孝夫が被告に対し、昭和五二年三月に翌四月から本件地代を増額してほしいとの申し入れがあったことは認めるが、その余は否認する。

同(二)ないし(四)の事実は認める。

三  被告の主張

1  本件賃貸借契約解除の意思表示は、無効である。

(一) 本件の調停条項第四項の(一)(請求原因1の(二)は、賃貸人が賃借人の地代不払いによって本件賃貸借契約を解除できる場合を明確にするため、これを「怠りその額六か月分に達したとき」と定めたものである。したがって、その反対解釈として、遅滞地代額が六か月分に達しない限りは、賃貸借契約の解除はできないとの趣旨を含むものである。それゆえ、右調停条項は、地代不払いによる解除に関する限り、民法五四一条の適用を排除することにしたものである。

しかるに、原告ら及び訴外セイの本件解除の意思表示は、地代の遅滞額が六か月分に達していないのにかかわらずされたものであるから、効力を生じない。

(二) 右調停条項を(一)のように解しえないとしても、少なくとも、公定賃料の増額による地代の値上げ分のみの支払いを怠っている場合には、その遅滞額が六か月分に達しない限り、賃貸借契約を解除することはできないとの趣旨に解すべきである。

そうであれば、本件解除の意思表示は、やはり無効である。

2  本件地代の支払催告は過大であって、無効である。

(一) 原告らは、本件地代は、公定賃料が増額となるのに応じ当然に増額となる旨主張しているが(請求原因4)、公定賃料の正確な額の把握は容易ではないので、賃貸人による通告を要すると考えるべきであり、本件の調停条項第三項ただし書き(請求原因1の(二))にも、これと異なる趣旨が含まれているとは解されない。もっとも、賃貸人が、公定賃料の増額となった時点を限度として、遡って地代の増額の通告をすることは、これを認める余地はあろう。

(二) ところで、原告ら及び訴外セイが、被告に対してした請求原因5の(三)の支払催告は、昭和五二年四月一日から同五三年三月三一日までの分として四万六八〇〇円(一か月三九〇〇円)、同年四月一日から同五四年八月三一日までの分として一四万五三五〇円(一か月八五五〇円)、同年九月一日から同五五年三月三一日までの分として八万八四八〇円(一か月一万二六四〇円)の合計二八万〇六三〇円の増差額地代を請求したものであった。

しかし、実際の正しい増差額地代の額は、請求原因4により計算すると、昭和五二年四月一日から同五三年三月三一日までの分二万七四四四円(一か月二二八七円)、同年四月一日から同五四年三月三一日までの分六万二四一二円(一か月五二〇一円)、同年四月一日から同年八月三一日まで三万二九六五円(一か月六五九三円)、同年九月一日から同五五年三月三一日までの分五万九五四九円(一か月八五〇七円)の合計一八万二三七〇円であることは計算上明らかである。

(三) このように原告ら及び訴外セイの支払催告にかかる額は、実際の遅滞額より著しく過大であり、仮に被告が実際の遅滞額を提供しても原告ら及び訴外セイがそれを受領したかどうかは疑問である。

それゆえ、原告ら及び訴外セイの支払催告は無効であり、それを前提とする本件解除は無効である。

3  被告の遅滞は不信義性が顕著とはいえない。

(一) 請求原因1の調停成立のときには、被告本人は出頭せず、被告の代理人山口作之助弁護士が出頭した。同調停成立後、被告は、山口弁護士から調停調書の写しを受領したが、その写しには、本件の調停条項第三項ただし書き(請求原因1の(二))の部分が、一部欠落して、「但し公定賃料変動の場合は附近の地代に比較して之を増減し支払うものとする」となっており、したがって、被告は、公定賃料の増額により、本件地代が当然に増額になるものとは考えていなかった。被告が調停条項第三項ただし書きの正しい条項を知り、右の欠落に気付いたのは、本訴提起後、原告らから提出された書証(調停調書正本)を見たときである。

(二) しかも、本件土地の地代は、もともと附近に比較して相当のものであり(公定賃料といってもかなりの高額で、ともに低廉とはいえない。)、値上げの必要はないと思っていた。

(三) 要するに、被告は、客観的には、地代の支払いを怠っていたが、主観的には、調停条項に違反せず、地代の支払いを怠っているとは思っていなかったものであり、そのように思ったことにつき、不信義性が高いとはいえない。

三  被告の主張に対する原告らの反論

1  被告の主張1は争う。

本件の調停条項第四項の(一)は、六か月分の地代の不払を条件として無催告による特別の解除権を定めたものであって、民法五四一条による一般の解除権の行使を制限したものではない。本件解除の際、被告の遅滞額は、六か月分に達していなかったが、後記3のとおり、被告の不信義性は明らかであり、支払催告の上解除しているので、一般の解除権の行使として有効である。

2  被告の主張2は争う。

原告ら及び訴外セイが公定賃料の計算に関する建設省告示の解釈を誤り、被告に対し若干過大な催告をしたことは事実であるが、この誤りの不当性は軽いものである。過大催告であっても、請求者の不当性が軽く、金額がそれほどでもない場合は、過大となっている部分のみが無効になるだけで、全部が無効とはならない。

3  被告の不信義性について

(一) 被告の主張3は争う。

(二) 被告は、調停調書の写しの誤りにより、本件の調停条項第三項ただし書きを誤って理解していたと主張するが(被告の主張3の(一))、(1) 右調停条項は、被告本人も充分承知の上で結ばれたものである筈であるし、(2) 仮に、そうでなくても調停の席に出席した被告代理人である山口弁護士は、その条項を充分知っていたから、被告本人が知らなかったと主張することは許されない。被告は、調停調書の写し誤りに便乗して、故意又は重大な過失により、地代の増額を否認するものというべきであり、そもそも自己側の責任による写し誤りというのは、宥恕すべき理由にならない。

(三) しかも、地主からの度重なる請求にもかかわらず、不当に三年半もの長期に亘り、二〇万円もの多額の増額地代の支払義務を否認し、地主と交渉して解決する誠意を示さなかったのは借地人として重大な背信行為である。

(四) 要するに、被告は、(1) 公定賃料が低廉であるのにその支払いを拒否するという非常識に基づいて、いったん紛争を調停で解決しながら、これを無視し、(2) 地代が高額と思えば、地主と話合って解決すべきなのにその誠意を欠き、おそらく放置しておけばその額が六か月を越えても支払いを続けたと思われる。以上、被告の不信義性は明らかである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

二  (本件地代について)

1  本件地代が地代家賃統制令により統制されていること、本件土地の地代統制額(いわゆる公定賃料)が請求原因4の(一)ないし(六)のとおり逐次増額となっていることは当事者間に争いがない。

2  本件地代が公定賃料の増額に応じて増額となるか否かについて判断する。

本件の調停条項第三項ただし書きには、前示請求原因1の(二)から明らかなように、「公定賃料変動の場合にはその公定賃料により……之を増額し支払うものとする」との条項があり、この条項は、その文言及び公定賃料の額が一般に相当性などといった不確定概念を介することなく、計算により一義的に確定できるものであることを合せ考えると、当該賃料につきそれが地代家賃統制令により統制されている場合において、その統制額すなわち公定賃料が変動したときには、意思表示等を要せず、当然に、その変動した公定賃料どおり当該賃料が増減し、賃借人はそれを支払う義務を負う、との趣旨を定めたものと解するのが相当である。

この点に関し、被告は、公定賃料といっても、その正確な額の把握は容易ではないから、賃貸人からの通告によって当該賃料が増額されるものと解すべきだと主張する。公定賃料額の正確な把握が常に必ずしも容易でないことは、弁論の全趣旨からも窺い知ることができるが、右の不容易性は、絶対的なものではなく、ある程度の調査、検討の労をとることによってそれを解消し得るものであると考えられるから、その不容易性のゆえをもって、前示の解釈を覆えすに足りない。

3  そうすると、本件地代は、請求原因4の(一)ないし(六)のとおりの額で推移しているものということができる。

三  (本件解除の効力について)

1  請求原因5の(二)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

2  本件の調停条項第四項の(一)には、前示請求原因1の(二)から明らかなように、「左の場合においては相手方は本件賃貸借契約を解除することができる。(一)申立人等が第三項の計算による地代の支払を怠りその額が六か月分に達したとき」との条項があるが(なお、右の「第三項の計算による地代」とは、前示請求原因1の(二)によれば、本件の調停条項第三項に定めるところの昭和三二年一二月一日以降の地代を指すものである。)、この条項に関し、被告は、賃貸人が賃借人の地代不払いにより解除できる場合を限定したもので、地代不払いを問題とする限り、遅滞地代額が六か月分に達しなければ、解除できないとの趣旨である旨主張し、これに対し、原告らは、地代の遅滞額が六か月分に達したときは無催告で解除し得ることを定めたもので、民法五四一条の規定による一般の解除権を何ら制限したものではない旨主張するので、判断する。

本件全証拠によるも、右の点について、右調停条項以外に、当事者間で何らかの合意が成立したとの事実を認めることはできないので、結局、右条項を中心に、当事者の合理的な意思を推測してこれを決めるほかはない。

そこで考えるに、右調停条項は、遅滞期間を六か月という比較的長い期間としていること及び前示請求原因1の(二)により明らかな本件調停条項第四項の(二)には、同じく解除し得る場合として、書面による承諾のない借地権の譲渡又は転貸を掲げていることを勘案すると、本件調停条項第四項の(一)は、催告をした上解除するという一般の解除権の行使を制限する趣旨のものではなく、特にそこに掲げる場合には、催告を経ないでも解除をすることができる旨を定めたものと解するのが相当である。

したがって、この点について、原告らの前示主張は正当であり、被告の前示主張は採り難い。なお、被告は、更に、公定賃料の増額による地代の値上げ分のみの支払い遅滞については、遅滞額が六か月分に達しない限り解除できないとの趣旨であるとも主張しているが、右調停条項が、地代を遅滞するに至った理由のいかんにより区別をしているものとは認められないから、この主張も採り得ない。

3  ところで、右1の事実によると、本件解除の意思表示は、昭和五五年六月二〇日にされているところ、その時点で被告が支払義務を負うのは、同年五月三一日までの地代であり(前示請求原因1の(二)によると、地代は月末払である。)、同日までの遅滞額(昭和五二年四月一日から昭和五五年五月三一日までの増差額地代額)が一九万九三八四円であることは計算上明らかである。

そして、右の額は解除時点での本件地代の六か月分に満たないもの(約四・七月分)であるから、右2の調停条項による無催告解除を主張できる場合ではなく、そうであるからこそ原告は、支払催告を経た上での解除権の行使を主張しているのである。

また、右1の事実によると、本件解除の前提となる支払催告は、昭和五五年五月三〇日にされ、昭和五二年四月一日から昭和五五年三月三一日までの未払の増差額地代につき、同年六月一〇日までに支払いを求めたものであるが、右の未払の地代額が一八万二三七〇円であることは計算上明らかである。

4  被告には右3に述べた地代の遅滞があり、それを前提として、支払催告を経た上で本件解除の意思表示がされていることは、既に述べたとおりである。

被告は、支払催告が過大催告であり無効だと主張しているが、その点についての判断はひとまず置き、本件の場合に、解除が許されるか否かについて考える。

《証拠省略》を合せ考えると、次の(一)ないし(一〇)の事実を認めることができる。

(一)  大正一五年、原告らの祖父訴外吉井茂則(賃貸人)と被告の内縁の夫訴外勝山健造(賃借人)との間において、本件土地につき期間三〇年の約で賃貸借契約が結ばれ、その後、当事者の死亡等により原告孝夫が賃貸人、被告が賃借人となっていた。

(二)  昭和三〇年頃、右賃貸借契約の地代の値上げにからんで紛争が生じ、原告孝夫から被告を相手方とする訴訟が提起され、第一審で原告孝夫が勝訴し、被告が控訴したところ、その係属中の昭和三二年、被告が申立人となって原告孝夫を相手方として、地代に関し調停申立てがされた。右調停事件は、昭和三二年一二月四日に調停成立に至った。本件賃貸借契約は、この調停によるものである。

(三)  右調停の成立した調停期日には、被告自身は出頭せず、被告代理人の弁護士訴外山口作之助が出頭していた。

(四)  その後間もなく、被告は、右山口弁護士の事務所で、同弁護士から調停調書正本の写しを受け取った。その写しは、手書きにより作成されたものであるが、調停条項第三項の五行目の一行全文すなわち「合はその公定賃料により又之が廃止の場」の部分が写しもれにより欠落していたため、同項ただし書きの部分が、「但し公定賃料変動の場合は附近の地代に比較して之を増減し支払うものとする」となっていた。

(五)  被告の手元には、調停調書に関しては、右の写ししかなかったため、被告自身も、その子で本件建物に同居し昭和三七年頃から本件地代の支払いに当たっていた訴外勝山脩も、いずれも、本件地代が公定賃料の増額に応じてそのとおりに増額になるとは考えておらず、附近の地代に比較して不相当となって初めて増額となるものと考えていた。

(六)  昭和四四年、本件賃貸借契約に関して、原告ら及び訴外吉井セイ(賃貸人。以下単に「原告ら」という。)から被告を相手方として訴訟が提起されたが、昭和四八年五月一六日両当事者間の代理人間で示談が成立し、本件地代が同年四月以降一坪につき一か月当り七五〇円(全体で三万二六〇〇円)と決められた。しかし、それが公定賃料かどうかは明示されなかった。

(七)  昭和五二年三月には、原告孝夫から被告に対し、翌月から公定賃料の増額に伴い本件地代を増額するよう求め、その後原告らは、被告に対し昭和五二年六月一三日、昭和五三年四月一四日及び昭和五四年八月二九日に各到達の書面で公定賃料額である旨を明示してその額まで本件地代の値上げを請求した。被告及び本件地代の支払いに当っていた訴外勝山(以下「被告ら」という。)は、原告らに対し、右(五)のような考えに立っていたが、それが正当かを確かめるべく、右請求の度毎に訴外勝山の知人である弁護士訴外稲野良夫に対応を相談していた。同弁護士は、被告らから、右(四)の調停調書の写しを見せられ、かつ本件土地近辺の地代の状況などを聞いて、原告らの請求に必ずしも応ずる必要はない旨答えていた。

(八)  なお、原告らとしては、本件訴訟までの間、被告らに対し、本件の調停条項第三項について説明したことはなかった。

(九)  本件訴訟が提起され、昭和五六年一月一九日の本件第二回口頭弁論期日において、原告らから甲第一五号証として本件調停調書正本が提出されたが、被告らは、同書証の複写機によるコピーをその代理人(前記稲野弁護士)から見せられて初めて、手元の調停調書正本の写しの調停条項第三項には欠落部分があり、右条項が請求原因1の(二)のとおりであることを知り、右代理人ともども驚いた。そして、その直後、被告らは、原告らに対し遅滞したと考える地代額を送金したが、原告らは、既に解除をした後であるとして返金した。

(一〇)  本件土地の周辺は、公定賃料といっても、比較的高額で、普通の地代と比較して不相当に低額であるとは必ずしもいえない状態にあった。

以上(一)ないし(一〇)認定の事実に反する証拠はない。

以上の事実によると、被告が前記3に述べたとおり増差額地代の支払いを遅滞したのは、本件の調停条項第三項ただし書きの写し誤りによる誤解を主たる原因とするものであり、右条項の写し誤りは、専ら被告側の責に帰すべきものであると解される。しかも、本件の地代の遅滞額は、本件地代の四か月分を超える二〇万円に近い額であり、それも三年余の期間に亘り累積されたものである。

しかしながら、被告は、本件調停条項第三項ただし書きについて、写しの誤りによって誤解していたもので、その正しい条項を知りながら、故意にこれを否定したわけではなく、また、本訴提起までは、右の写し誤りに気付く機会がなかったところ、本訴提起後とはいえ右条項の正文を知った後は、当然のことであるが、これに従う意向を明らかにしている。しかも、地代の遅滞は、増差額分に限られており(借地法一二条による地代の増額請求の場合には、それにつき裁判が確定するまでは、賃借人が従前の地代を相当と考える限り、そのままの地代のみの支払を続けても、原則として地代の遅滞による解除は認められないものであり、本件はもとよりこの場合とは異なるが、右に述べたことは十分に考慮されてよい。)、その遅滞額が六か月分に達してはいない(仮に、六か月分に達していたとすると、本件の調停条項第四項の(一)の適用があり、その場合は、その遅滞が結局は被告の責に帰すべき調停条項の写し誤りによるものである以上、解除の効力の否定は相当に困難であると考えられる。)。

右のような事情を踏えて考えると、当事者の主観においてはともかく、客観的に見る限り、被告らの本件地代の遅滞は、なお、本件賃貸借契約の解除を認めるに足るだけの背信的行為に当たらないものと解するのが相当である。

したがって、本件の場合は、解除が許されないものというほかはない。

6  そうすると、その余の点につき判断を加えるまでもなく、本件解除の意思表示は効力を有しないものと解される。

四  前記二で判断したところによれば、被告は、原告らに対し請求原因4の(一)ないし(六)のとおりの額の地代の支払い義務を負うから、原告らが被告に対し、昭和五二年四月一日から昭和五五年五月三一日までの地代から従前の地代一か月当たり三万二六〇〇円を控除した増差額地代合計一九万九三八四円の支払いを求める請求は、理由がある。

しかし、前記三で判断したところによれば、本件解除の意思表示は効力を生じないから、本件解除が有効であることを前提として、原告らが被告に対し、本件建物を収去して土地の明渡しを求める請求及びその使用による損害金の支払いを求める請求は、失当である。

五  よって、原告らの本訴請求は、主文第一項の限度でこれを認容するが、その余はこれを棄却し、訴訟費用については民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木康之)

<以下省略>

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